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今日の法話2006/12/08

いのちの原理

皆さん こんにちは。

妻と二人の子どもを残して、あるご主人が亡くなりました。
たいそう酒が好きな人でした。その日も、夜遅くまで、外で酒を飲んで帰宅途中、ふらふらと道へ出たところを、大型トラックにはねられました。即死でした。
酒が好きで、給料のほとんどが酒代になり、生活も苦しかったと聞きました。
生きているときは、夫婦間で争いが絶えなかったそうです。
家族にとっては、どんなにか酒が憎かったでしょう。
しかし、今、お仏壇のお参りに行くと、いつ参っても、ビールに日本酒、お供えのお酒が耐えたことがありません。
しかし、いくら仏壇にお酒を供えても、少しもお酒は減りません。
「あ〜、もっとお酒を飲ませてあげればよかった。」「あ〜、もっとやさしく、うまくお酒をやめるように言えばよかった。」と妻の口から、後悔の言葉が聞かれます。

先日、ある葬儀の時でした。
奥さんを亡くしたご主人の挨拶に感動しました。
「私には、もったいないほど立派な妻でした。多くのことを教えてくれました。そして、最後に人生の厳しさを教わりました。ありがとう。もっと早く、妻のすばらしさに気づけばよかった‥‥。」

私は、この挨拶を聞いたとき、ある詩を思い出しました。

ひよっとして これは
私のために 
生れてきてくれた
女ではなかったのか
あまり身近にいるので
気がつかなかったが‥‥


私たちは、つれそいに限らず、親であっても、子であっても、友であっても、一切のものに支えられて生きています
一切のものに生かされているのが、私のいのちです。
しかし、特に身近な相手には、支えられているにもかかわらず、気づかないのです。
しかし、このいのちの原理に目覚めるところにこそ、本当の喜びがあるのです。

平成18年12月8日