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今日の法話2018/08/30

「浄土真宗の聴聞とは」

「浄土真宗の行は聴聞にあり!」と浄土真宗は聴聞が大事であることをいつも申し上げていますが、聴聞の「聴」には、往くの意味があり、「聞」には来るの意味があります。
しかし、お寺へ仏法を聴きに往くことで、仏さまのお心が聞こえてくることを期待する。となると、聴聞は仏さまのお心をいただくための自力の行となってしまいます。

親鸞聖人は一念多念証文で「自力というは、わが身をたのみ、わがこころをたのむ、わが力をはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。」と述べられています。

では、浄土真宗のご法義は聴聞をどの様に捉えているのでしょうか。

聴聞することにより、私の本質が明らかになり、私は罪深い存在であったと気づかされ、私が救われていくには阿弥陀様の救いによるしかないことが知らされます。
聞こえて来るものを求め、聴きに往くのではなく、聞こえてみれば、既に私は阿弥陀様の救いの中にあったことに気付かされます。

聴聞し、お念仏いたしましょう。