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今日の法話2007/04/02

迷信はやっかいな存在

皆さん こんにちは。

世の中に迷信という言葉があります。
それは、人の人生を迷わす存在であり、道理にあわず不合理であるにもかかわらず、人はそれに影響されやすい。
だから、やっかいな存在なのです。

昔、山田道悦という学者がいました。
道悦は、岡山藩主池田光政がフキを食べないことを聞いて、ある時、殿様に聞きました。
「殿様、なぜフキを召し上がらないのですか。」
すると、殿様は嫌な顔をして、それに答えようとしませんでした。
しかし、あまり道悦が執拗(しつよう)に聞くので重い口を開きました。
「それは、曾祖父にあたる信輝公が長久手の戦いで戦死されたが、ちょうどその場所がフキ畠だったと聞いているので、フキはいっさい口にしないと決めているのだ。」と答えました。
それを聞いて道悦はこう言いました。
「へぇー、しかし、ご先祖様の戦死なすった場所がフキ畠であったことは、殿にとって誠に幸せなことでございましたね。」
すると、殿はびっくりして声を高めて聞きました。
「なに、それは、どういうことだ!」
道悦は答えました。
「もし、それが田の中でございましたら、殿はとっくに飢死されていたに違いありませんから‥‥」
それを聞いた光政は、「よく言ってくれた。今後は、つまらないことは気にしないことにする。」と、それからフキを口にするようになったということです。

これも迷信でしょう。
しかし、殿様は、道悦の言葉に気づきました。

私たちは、どうでしょうか。
夫を亡くした奥さんの言葉です。
「主人は、亡くなる前、お墓を建てたがっていました。」
「しかし、私がそのことを祈祷師に尋ねると、お仏壇やお墓を建てると死人が出るというので、主人にお墓を建てさせなかったのです。」
「お墓を建てる建てないに関係なく、主人は亡くなり、今となっては直ぐに納骨も出来ず、建てなかったことを後悔しています。」
こう言われました。
亡き人を敬い、ご先祖のご恩を偲ぶはずのお墓が、迷信にとらわれることによって、人を迷わす材料になっているのです。

親鸞聖人は、こうした人々の姿を悲しまれ、
「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)」で、

かなしきかなや道俗の
良時吉日(りょうじきちにち)えらばしめ
天神地祇(てんじんじぎ)をあがめつつ
卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす

とおっしゃっています。

私たち念仏者は、因果の道理を踏み違えず、如来様に育まれている身を喜び、迷信などに人生を左右されることない生き方をしなければなりません。

平成19年4月3日