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今日の法話2007/05/24

仏様に抱かれた素晴しい人生

皆さん こんにちは。

私は、几帳面な性格なのですが、皆さんは、どうでしょうか。

私のその性格の代表的なものに、計画を立て行動するということがあります。
今は少し大ざっぱになりましたが、以前は、一日の計画、一週間の計画、一ヶ月の計画、一年の計画を細かく立てていました。
例えば一日の計画は、一日を24時間に区切った表に、行うべきことを前の晩に書き記していました。そして、一日が終わると、その表の上から実績を書き加えます。
一週間の計画は、月曜日から日曜日までの七日に区切った表に、仕事、生活、家族、趣味、読書などを項目に分けて書き込みます。
一ヶ月の計画も、一年の計画も同じように行います。

そのことで感じることは、一日の計画にしても、一週間の計画にしても、ただ無計画に生活するのと違い、何と多くのことができるのかということです。
そして、省みて思うことは、自分の暮らしぶりです。
何時には誰と会って、何日には、何の会があってというように、私たちは、時間と日にちを使い分けて行動しています。
しかし、よく見ると、真剣に自分について考える時間は、どの項目にも見当たらないのです。
一日の計画の中で、食事の時間はあっても、「人間に生れたということは、如何なることなのか。」「生きるということは、如何なることなのか。」「何時かは死ななければならないが、死とは如何なることなのか。」「生きるということは、如何なるものなのか。」と考える時間が一日の計画の中には無いのです。

皆さんは、どうでしょう。
毎日の生活が、忙しいの連続で、忙しさに振り回され、自分について考えるひまもなく生活しているのではないでしょうか。

親鸞聖人は、そんな生き方を「むなしくすぐる。」と仰られ、阿弥陀様の本願を聞かずに一生終わったら、どんな素晴しい人生であったとしても、宝の山に入って、手を空しくして帰ることと同じだと、いましめておられるのです。

一日の計画の中で、自分について考える時間を、朝夕の仏様へのお参りの時間に持ちましょう。
一ヶ月の計画の中で、自分について考える時間をお寺のご法座にお参りした時間に持ちましょう。
1年の計画の中で、自分について考える時間をご本山へお参りした時間に持ちましょう。

あなたの人生が、仏様に抱かれた素晴しい人生であったことに気付くはずです。

平成19年5月24日