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今日の法話2007/06/11

「命を使う」

皆さん こんにちは。

玉野市仏教会前の会長で、市内臨済宗妙心寺派久昌寺住職豊岳澄明師から、一冊の本を賜わりました。
「いのち、活かすために 人生の本(もと)を務めよ」と題した臨済宗妙心寺派布教師会が編著された本で、豊岳澄明師もその中で、一章を著述されています。

本の表紙の裏に、

人生で避けて通れない悩みや迷い。
苦しみに押しつぶされそうになったら、こう呟こう。

何も考えるな。
今日一日、今日一日。


不思議と生きる力が湧いてくる。


とあり、「はじめに」からその本は始まります。

その「はじめに」と表紙との間に、一枚の白紙があるのですが、そこへ豊岳師が、「命を使う」と自書下さいました。

「命を使う」とは、「この命をどう使うか」、「どう生きるか」ということだと思いますが、普段私達が使用する「使命」という言葉に比べ、遥かに深いあじわいを感じると共に、「使命」の意味は、本来、「役目・任務」などを超越した「重大な命を使う」ことであり、授かった命を「生きる」ということなのだということをあらためて教えられました。

その本の「おわりに」の部分で、臨済宗妙心寺派布教師会会長藤原東演師が、

昔から道に迷ったら、元へ戻れと言われているが、やはりこれらの問題の解決には、生き方・家庭・仕事・人間関係の基本・根本がなんであるのかを学習すべきだと思うのである。
何をやってもとやかく言われない、許されるという錯覚が私たちの心に培養されていないだろうか。その結果、物事の根本を考えることなど、古くさく、説教くさく、無用だと決めつけているところがあるように思われてならない。そういう心の傾向がこの世を相当危うい状況にさせているのだ。
こういう世相だからこそ、物事の根本を愚直なまで、自己に問うことを課すことが急務だと私は信じている。


と、著述されておられます。

仏教とは、自己を問い、人間の本質を知る教えなのです。

平成19年6月11日