今日の法話2026/08/10
「その身になってわかるありがたさ」
今年の四月初旬の日曜日のことです。
午前十一時からのご法事を勤める予定があり、急いで庫裡の階段を下りていたところ、足を踏み外し転倒してしまいました。
軽傷だと思っていましたが、診察を受けたところ、中足骨を骨折していました。
二か月間のギプス生活となり、ギプスが外れればすぐに歩けるものと思っていましたが、そう甘くはありませんでした。リハビリをしながら、一か月程は杖が手放せない生活となりました。
ようやく最近、杖なしで歩けるようになりましたが、まだ足の腫れが残っており、まっすぐ歩くことができません。
ギプス生活の間は、家の中でも思うように歩けず、外では杖や車いすが必要で、家族や周囲の方々にずいぶん助けていただきました。
お寺の掲示板には、「その身になってわかるありがたさ」と書かせていただきましたが、まさに、歩けること、人に支えられて生きていることのありがたさを、身をもって教えられました。
療養中に一つ不思議なことがありました。
亡くなった母の夢を三度も見たのです。
亡くなってから一度も夢に見ることはありませんでした。
しかし、母が夢に現れ、「あわてたらいけませんよ」「気をつけなさい」と語りかけてくれているように感じられました。
このたびの骨折は、決してありがたい出来事ではありませんでしたが、当たり前の日常の尊さ、支えてくれた家族の温かさ、母への感謝を、改めて味わわせていただく尊いご縁となりました。
親鸞聖人は、「自然法爾(じねんほうに)」というお言葉を大切にされました。
それは、自分の思いどおりに生きているようでいて、実は多くのご縁によって生かされている私の姿を教えてくださるお言葉です。
何気なく歩き、何気なく暮らしている毎日も、決して当たり前ではありません。
思いがけない出来事を通して、一人の力では生きていけないことに気づかされ、阿弥陀さまのお慈悲の中で生かされている身であることを、改めて味わわせていただきました。
これからは、急ぐ心を少し抑え、日々を大切に、いただいたいのちを歩ませていただきたいと思っています。