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今日の法話2022/03/04

「無縁の慈」

私は二月に64才になりました。
最近は肩や腰の痛みも感じるようになり、夜更かしや少し無理をすると疲れやすくなりました。
人には肉体と心があり、それぞれに喜びと限界があるという現実が身に沁みて感じられます。
「生きる」ということは苦の連続で、その中に老いの苦しみがあるということは頭では分かっていましたが、その立場にならないと分からないものです。
「若い時は良かったなあ、徹夜しても平気だった」
「20代、30代、いや40代でもいいから、返りたい」
そんなことを考えていた時、ふと昔聞いた二人のご門徒の会話を思い出しました。
70歳のご門徒「年を取ったなあ」
90歳のご門徒「若いのお、まだまだ、これからや」
90歳の方にとって、70歳は「まだまだ、これから」なのです。

私たち凡夫は自己中心でしか、ものごとを見ることができません。
そんな人の心と違い、阿弥陀さまのお心を大慈悲心と言います。
『仏説観無量寿経』に「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂したまふ」とあります。
「無縁の慈」とは、阿弥陀さまの分け隔てのない慈悲のお心のことです。
すべての人々に分け隔てなく慈しむ無縁(縁のあるなしに関係ない)の慈悲のお心で、苦しみにある私を何とかしたいとはたらきかけてくださっています。
その阿弥陀さまのはたらき(願い)を「本願」といい、南無阿弥陀仏の六字の名号となってわたしのところへ届きます。
その阿弥陀さまの願い(み教え)を聞き、南無阿弥陀仏のみ名を称えること(念仏)を親鸞聖人は「大行」とお示しくださいました。
お念仏いたしましょう。