法事をつとめる心がまえについて
法事は亡き人を縁として、いま生かされている生命の尊さをかみしめつつ、故人も私も共に救って下さる阿弥陀如来の智慧と慈悲に手を合わせ、その仏恩にご報謝のおつとめとして行います。
私たちの生命は、突然この世に出現したものではなく、私につながるまでに気の遠くなるような生命の営みが続けられてきたことに気づきます。その中で自分がどのように生きるべきかを自分自身に問い、自己を見つめなおし、自己を取り戻す良きご縁でもあります。亡き先人たちは、阿弥陀さまにお任せするという南無阿弥陀仏の信心をいただいて、私たちをこの世に残して先に浄土へ行かれました。
私たちは、日常年をとることも忘れ、煩悩いっぱいの中であくせくと生き、自分自身が死に向かっているという現実から目をそらして生きていますが、ご法事は、あらためて現実というものに目を向けて、自分自身を取り戻す人間回復の良いご縁であります。せめてこの日一日くらいは、自己について問い、みんなを必ず救わずにはおれないとお働きくださる阿弥陀さまのお話を心静かに聞かせていただきましょう。
日時の決定・お寺との打ち合わせ
法事に当たる年の前年暮れにお寺から通知を出すようにしています。また、年賀の封書には年忌表を同封するようにしています。土日等の場合には、法事の希望も多いので、遅くとも3ヵ月前にはご連絡いただきたいと思います。尚、ご葬儀が入った場合は予定の日時を変更しなければならなくなる事もあります。法事が近くなったら、再度確認の連絡を取るようにしましょう。また、何人もの法事を同時に行う併修はなるべく避けたいものです。
お墓参りについて
浄土真宗では法事に必ず墓へ参るという慣わしはありません。
ただ、日頃お墓へ参っていない人達が法事のご縁に墓参りを行なうということであれば、そのご縁も大事かと思います。お寺は納骨・建碑などを除いて原則としてお墓へは同行致しませんが、依頼があれば、お墓でのお勤めもいたします。ただ、その場合は、法事の依頼の時、申して下さい。
会場の決定(自宅・お寺・貸し会場)
自宅の場合
お寺の場合
お寺の本堂へのお供えや仏花については、年回法要にふさわしいものを事前にお寺と相談して、主催者が用意します。施主は法事のはじまる30分くらい前には到着して、参席者を迎えるような気遣いも必要です。
お寺に着いたら、まず住職にあいさつし、持参した過去帳や位牌、お布施、供物、花および口ウソク代としての「御明かし料」や「お香料」、本堂や施設を利用するにあたっての志などを差し出します。なお、お寺で法事をつとめる場合でも、自宅の仏壇はきれいに掃除して、荘厳を整えることを忘れないようにしましょう。
貸し会場(法事専用の会場)の場合
法事専門の会館やホテルなどの法事施設はそれなりの施設となっていますので、法要に用いる仏具(花瓶、香炉、ろうそく立て、キン)等はそろっています。ただし、当然の事ですが過去帳や位牌は持参しなければなりません。
法要のすすめ方
下の式次第は、自宅でつとめる場合の一般例です。法事のすすめ方は、会場が自宅かお寺かでも多少異なります。下の「(3)お仏壇の準備」とはローソクに点火し、線香を供香し、お仏飯をお供えすることです。蝋燭や線香、炭の点火は荘厳の一つです。お寺任せにするのではなく、お家の方が行って下さい。
法要で用意しておかなければならないのは、記念品、お斎(法事のあとの食事)、お布施ですが、記念品は持ち帰りに困らないものを、お斎は理想的には精進料理ですが、今日では折詰を手配する場合や外食する場合、会食を略してお寺にお膳料を渡すというやり方も見受けられます。
年回法要では、浄土に還られた「いのち」と故人の恩愛を追悼し、故人を縁として、故人も私も共にすくってくださる阿弥陀如来の智慧と慈悲に手を合わせ、その仏恩にご報謝のおつとめをします。
法事のときの服装
昔は、法事のとき施主は必ず羽織・袴の正装でというしきたりがありましたが、最近では、ご葬儀のとき以外は正式な喪服を着用される方がほとんど見られなくなりました。法事は仏法を聞く場であるので、喪服など着る必要はないという考え方も有ります。特に近年、法事は何回忌であっても喪服を着るもの、と決めてかかっている方が多くなってきたようですが、決してそんな事はありませんので、参詣者は一周忌または三回忌ぐらいまでとするようにしたいものです。
しかしながら、法事のときの施主は、略礼服ぐらいは着用するようにし、参詣者も地味な平服の方が望ましいと思います。女性の場合は、和服・洋服どちらでもかまいませんが、和装のときには色無地に黒帯または黒の一つ絞の羽織、洋装のときも黒色など地味なものが望ましいものです。なお、法事に出席するときには必ず念珠を忘れないようにするとともに、門徒式章をかけるようにしたいものです。
年回法要に招かれたときに、まず、心掛けたいのは服装です。わざわざ黒の略礼服を着ていったら、主催者側の人たちは普通の背広姿で、かえって恥をかいてしまう結果となることもあります。四十九日、一周忌の法要でしたら黒の略礼服で良いでしょうが、それ以外の法要のときには主催者にどんな服装にすべきかを、前もってたしかめておくことが必要でしょう。また、主催者は法事の案内時にどんな服装にすべきかを案内状に明記しておくことも必要です。
良くある質問
御布施について
よく「お布施をいくらぐらいお包みすればよいのでしょうか。あまり少ないと失礼ですので…」とか「相場はどのくらいでしょうか?」といったご質問を頂戴いたします。こういうご質問をされる方は、日常の習慣の中で、つい、御布施を一種の報酬、僧侶が読経したことに対する代価、御礼のように捉えているようです。
本来、布施というのは、仏教の大切な行の1つで「あまねくほどこす」ということです。その布施行には、僧が法を説く「法施」という布施、お金などの財物を施す「財施」という布施、畏怖(いふ)の念を抱かせない「無畏施」という布施などいろいろあります。さらに、これらの布施行は、施す人と施される人、施し物の3つがともに清浄でなければならないとされています。つまり、見返りを期待したり、何か魂胆があったりすれば、布施にはならないのです。ただ、浄土真宗では、こうした布施を自己の善根功徳とはせず、ただ阿弥陀如来のお救いを慶び感謝する報謝行と捉えます。したがって、仏法を慶ぶ気持ちから如来さまへ自ら進んで捧げる性質のものですから、よろこんで精いっぱいの気持ちが大切です。(御布施は僧侶への「報酬」ではありません。)通常の仏事においては、僧侶の法施と皆さんの財施という布施の交換が行われます。
それぞれの方のその時の経済状態における最大限のお気持ちでなければなりません。たとえば、お仏壇の入仏法要でも、月数万円の年金生活の方が毎月2千円、3千円とコツコツ貯めてやっと購入した3万円の仏壇の入仏法要に3万円の御布施はいただけませんでしょうし、100万円の予算の方が70万円で購入した仏壇の入仏法要で30万円のお布施をいただいてもおかしくはありません。要するに精一杯を喜捨する心が御布施の意味合いなのです。無理をしてはいけませんが、おしんでもいけません。
ただ、この質問は、多くの人からいただきますので、平均的な金額は、お聞きいただいたら、答えるようにしています。尚、葬儀については、ご本山の冥加金を参考に、お話する様にしています。
金封の表書きには「御布施」と書きます。僧侶への報酬ではありませんので「御経料」とか「回向料」とか「御礼」とは記しません。「御布施」は僧侶に差し上げるためのものではなく、お寺のご本尊・阿弥陀如来にお供えするものですから、差し出すときには、お盆にのせ「おことづけして失礼ですが…」とか「お使いだてして申し訳ありませんが」の言葉を添えるのがよいでしょう。ていねいな所では、前もってお寺に直接持参されます。
なお、水引の色は、葬儀、中陰など悲しみのときは黒・白または黄・白、入仏法要や報恩講など慶びの法要は赤・白、その他のときは無地の水引無しか黄・白が一般的です。
友引に法事をしてもよいのか
友引、大安、仏滅などの中国の六曜は仏法とは一切関係がありません。「友引」は六曜の一つで、元は「共引(引き分けの意)」と書いたそうです。これが「友引=友を引く」などと子供でも笑いそうな幼稚な語呂合わせに大の大人が左右されるのはまったく困ったものです。ましてやご法事やお葬式に何の関係があるでしょうか。「大安」についても同様です。
浄土真宗の先人・先祖たちは友引に法事も葬儀もやり、仏滅に結婚式をしてきたのです。もちろん、そんなことはまったく気にせずにです。その先人たちより命を受け継いだ私たちなのですから、そのご法義もしっかり受け継ぎたいものです。
浄土真宗では日の吉凶を気にしたりという、自分の行動をくだらない迷信で制限するような生き方はいたしません。法事という浄土真宗のご法義を聞くご縁を持とうとする方が、浄土真宗のご法義に反するような事をしてはいけません。友を引かれると困るので、法事の日を変えるなどということは、故人に対して失礼なことです。まるで、尊い先祖が友を悪霊世界に引き込む存在であるがのごとく思っている事と同じことになってしまうということを良くお考えいただきたいと思います。ずるずると仏教とは関係のない俗信の世界に引きずりこまれてしまうことは避けたいものです。
他宗派の法事に出席する時は?
他宗派の法事に出席する時はどう振る舞えばいいのでしょう。という質問を時々受けます。相手を尊重することを基本に考えることは当然です。各宗派にはそれぞれの作法やしきたりがあります。教義と伝統にのっとったこれらの作法やしきたりは、出来るかぎり尊重しなければならないと思います。
ここで注意したいことは、”尊重する”ということと、”ただその宗派の形にこちらが合わせる”ということとは異なるということです。ただ形だけを合わせて回りの人の真似をしていては、かえってその儀式に失礼であることを考えてください。宗教儀式に礼を示すということは、儀式の妨げにならないように気を配りながら自分は自分の宗教作法をもって参列させていただくことであろうと思います。
焼香などの作法は浄土真宗の作法にのっとって行っても失礼にはなりません。キリスト教や神道の儀式に参列した時でも、合掌して小さくお念仏させて(大声で念仏を称えることはさける)いただいても失礼にはなりません。その意味で、他宗派の方が真宗の法要に参列していることも想定しておく必要があります。その場合もこちらの作法を強要するのではなく、協力を求める姿勢でのぞんでいただきたいと思います。
法事の案内状の書き方について
ときどき質問を受けますので私なりの例を記しますので参考にしてください。
(お父様の七回忌の文例です)
謹啓 春暖の候(当然、季節によって異なる時候の挨拶) ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、早いもので亡父の7回忌を迎えることになりました。
つきましては、○月○日(○曜日)午前○時、○○におきまして法要を営みたいと計画しております。
ご多忙中のこととは存じますが、万障お繰りあわせのうえ、ご参席、ご焼香くださいますようお願い申し上げます。
法要後は故人のご恩を思いつつ近況を報告しあい、年回法要を機縁に顔を合わせ、ともに会食をさせていただこうと予定しています。
なお、恐縮ですが遅くとも30分前にはご到着いただきますようお願い申し上げます。また、服装は略式(または平服)にてご出席ください。
皆様によろしくご風声くださいませ。 合掌
記
場所 ○○ (○○市○○町○○番地)
日時 平成○○年○月○○日 ○○時より
施主 ○○○○
○○○○様
追伸、会食準備の都合上、出席人数を(○月○日までに同封の返信用葉書にてお知らせくださいませ。)(お電話にてお知らせいただいても結構です。)
浄土真宗のお墓について
お墓というものは、ご本尊・阿弥陀如来のおはたらきによって、お念仏をいただかれて お浄土へ参られたご先祖のお徳をしのぶために建立されるものです。ですから、これから新しくお墓を建てられる方は、お墓の正面には家名などは避け、「南無阿弥陀仏」の六字の名号か「倶会一処」と刻むのがよいでしょう(家名は台座に刻めば良い)。なぜなら、浄土真宗のお墓は亡き人を祀るという意味でのお墓ではなく、あくまで阿弥陀さまを奉献した仏塔、亡き方が往生された仏国土(お浄土)の延長上の世界という意味合いを持っているからです。なお、浄土真宗では塔婆は用いませんので塔婆立ては不要です。
また、お墓に墓相などというものはありません。墓相や方角といった類は一切気にする必要はありません。このような迷信を信じる人のことをお釈迦様は仏教徒ではない人という意味で「外道(げどう)」と呼んでいます。仏教徒としての「内道=仏道」を歩みましょう。
お墓を建てたときには、「建碑法要」(建碑慶讃法要)を行います。他宗で用いる「魂入れ」などという言葉は、浄土真宗では用いません。なお、建碑法要に限らず墓前のおつとめをお寺に依頼するときは、お墓の正面に刻まれた文字が「南無阿弥陀仏」となっているか否かを申し添えます。なっていないときには、ご本尊を用意する必要があるからです。ご自身がお墓参りのときも携帯用のご本尊を持参するのが原則です。
なぜなら、浄土真宗でのお墓は、故人のお墓を縁として尊い仏法に出会わせていただく、また、仏法を聞かせていただくという意味において、大切なご縁となるものであるからです。
浄土真宗のお墓として留意すべき事