本堂の奥半分の一段高くなっている中央の部分(板の間)を内陣といいますが、内陣の中央には、須弥壇を据え、須弥壇上の中央に宮殿をおき、宮殿の中にご本尊(阿弥陀如来御木像 )を安置します。
右脇壇に宗祖親鸞聖人御影像、左脇壇に本願寺第八代蓮如上人御影像(法親寺は、本願寺第十九代本如上人)をお掛けし、右余間壇上に聖徳太子御画像、左余間壇上に七高僧連座御画像をお掛けします。
阿弥陀如来を親鸞聖人は、南無不可思議光仏(南無不可思議光如来=九字名号)とも、帰命尽十方無碍光如来(十字名号)とも、南無阿弥陀仏(六字名号)ともお示しになりました。阿弥陀仏とは、極楽浄土にあって、大悲の本願をもって生きとし生けるものすべてを平等に救済下さる仏様です。
「顕浄土真実教行証文類<教行信証>」を著し、真の宗教とは、『大無量寿経』に説かれている阿弥陀如来の本願の教えであることを明らかにされました。そして、如来の願いが成就して名号(南無阿弥陀仏)となり、その名号のはたらきによって、さとりの世界である浄土に生れ、仏になることができると説かれました。
異宗や他派に押されていた浄土真宗本願寺を中興し、現在の礎を築きました。弾圧を受けながらも、上人は精力的な布教を続けられ、遠方の各地の門徒には、教えを簡単な和文で書いた手紙を数多く送られてました。それらの文書は、「御文章」「御文」とよばれ、のちにまとめられて、現在にいたるまで、門徒が日々拝読するものとなっています。また、親鸞聖人の著述の中から、「正信偈」や「和讃」を刊行し、朝夕のお勤めに拝読することを決められたのも、蓮如上人です。
聖徳太子さまは、親鸞聖人が(和国の教主)とまでおっしゃって、たいへん尊敬なさったお方です。 親鸞聖人が二十年にもおよぶ比叡山での修行に訣別して、師・法然上人とお出遇いになるきっかけは、六角堂へ百日間の参龍の中で、聖徳太子さまの夢告であったといわれています。つまり親鸞聖人にとっては、聖徳太子さまは、とても大切なお方でした。したがって私たちも、聖徳太子さまをお敬いするのです。
七高僧とは、インドの龍樹菩薩・天親菩薩、中国の曇鸞大師・道綽禅師・善導大師、日本の源信和尚・源空(法然)上人の七人の高僧方です。 親鸞聖人は、この七高僧方を、『お正信偈』や『ご和讃』で、ご自分が、お念仏の教えに遇うためには、なくてはならない方がたであったと讃嘆なさっておられます。(南無阿弥陀仏)