今日の法話2008/06/14
「幸せは拾うもの」
皆さん こんにちは。
人の人生には二通りの生き方があります。
一つは「おあしす」の生き方であり、もう一つは「いくこぶね」の生き方です。
これだけではわからないと思います。
即ち、「おあしす」の「お」とは「おかげさま」の「お」、「おあしす」の「あ」とは「ありがとう」の「あ」、「おあしす」の「し」とは「幸せでございます」の「し」、「おあしす」の「す」とは「すみません」の「す」、これらの頭をとって、「おあしす」となります。
生き方を善悪で言えば、「おあしす」の生き方とは、良い方、そうありたい方の生き方でしよう。
もう一つの「いくこぶね」ですが、これは「いらいら」「くよくよ」「こせこせ」「ぶりぶり」「ねちねち」の頭をとって、「いくこぶね」の生き方となります。
これはどちらかと言えば、悪い方の生き方でしょう。
しかし、「いくこぶね」の生き方は、人間と生れたら避けて通れない生き方ともいえます。
それは、人間には欲があるからです。
一つのものが手に入れば、次のものが欲しくなる。次々と欲が膨らみ、いっそういらいらしてくる。入らなかったら、入らなかったでぶりぶり文句を言う。
つまり求めても求めても欲に限りがないから、したがって求めるところには本当の幸せは訪れない。
求める心が、私を「いくこぶね」の生き方へと導き、やがて不幸のどん底へと沈めてしまうのです。
「在るものを喜ぶ幸せ」を感じましょう。
漢字は真に良く出来ています。
手偏に合わすと書いて、「拾う」という字になります。
つまり、幸せは求めるものではなく、拾っていくものなのです。
仏様に手を合わし、幸せをいただきましょう。
平成20年6月14日