ご門徒を対象とした勉強会を行うと、時々とても勉強をしている方に出会います。おそらく、本で学んだのだと思いますが、お聖経の言葉も暗記しており、それを引用して鋭い質問をされるものですから、私の方が冷汗を掻くことがあります。しかし、それはそれで尊いことだと思いますが、ただそのような方に限って口からお念仏が出ないのは不思議なことです。
仏法を頭でわかっていても、信心という形で身についていない人からは、念仏が出ないようであります。
しかし、信心と念仏は表裏一体でなければなりません。
それは、ちょうどコインの裏表のようなものです。
500円玉は、 表面は桐、裏面は笹・橘の図柄なのですが、例えば片面だけ刻印されたものは硬貨として通用しません。
表と裏があって初めて価値のあるコインとなります。
信心を表とすれば当然念仏の裏がなければなりません。
片方だけでは通用しません。
そして、コインは日本政府が発行しています。だから、使用することができ、物を買うこともできるのです。
私が造ったのでは、偽造になり通用しません。
信心と念仏も同様です。
如来さまから届けられたもの、たまわるものであるからこそ、私を救う力となるのです。
信心となり、念仏となって届いてくださる南無阿弥陀仏によって往生することを親鸞聖人は、「念仏往生」とお示しくださいました。
心に信心、口に念仏。
ちょうど車の両輪のようなものです。
お念仏を称えさせていただきましょう。
平成20年10月20日