今日の法話2009/04/05
「ありがたい。南無阿弥陀仏。」
最近、忙しかったせいか、肩こりから腕を痛め、整骨院へ通ったり、マッサージに行ったりとお年寄りのひざが痛いと歎いているお気持ちがよくわかりました。しかし、腕を痛めたぐらいですが、物は持てず、車の運転は激痛との戦いですし、食欲も少なく、夜も痛みで眼がさめる有様、健康のありがたさをつくづく感じています。
車を運転しながら、「痛みのないときの運転はどのようだったかなあ?」と思い回想してみると、当たり前の顔をして運転している自分がそこにありました。
人は何かがないと気付かないのです。
体が不自由で車椅子の生活をしている夫が一人車椅子で外出をしました。
でこぼこ道を通ったとき、妻が車椅子に付けてくれた鈴が鳴りました。
まるで「気をつけてね。」と心配してくれている妻の声のようでした。
でこぼこ道だからこそ鈴は鳴ったのです。平坦な道なら鈴は鳴りません。
私たちの人生を道にたとえるなら、人である以上、だれの道もでこぼこ道です。
だからこそ、「私が守っているよ。」と仏様が共にいてくださるのです。
腕の痛みが引いたら、「ありがたい。南無阿弥陀仏。」
お念仏しながら運転する自分の姿でありたいものです。
平成21年4月6日