今日の法話2009/05/16
「お寺さんは、霊魂が見えますか?」
「お寺さんは、霊魂が見えますか?」との質問を受けることがあります。
或いは、「仏様が見えますか?」と問われることもあります。
「私に限らず、人間である限り、人のはからいを超えた世界やその存在を見ることはできるものではありません。」と答えます。
「ただし、感じることはできます。」と私が言うと、「やはり修行をすると感じることができるのですね。」と‥‥。
さて、私のお寺では、法事を行なう前後に施主の方にご挨拶をしていただくことを恒例としています。
そのとき施主の方のご挨拶の決まり文句が、「本日は有縁の方々大勢お集まりくださり、また、お寺さんには有難いお経とご法話をいただき、ありがとうございました。さぞかし、故人も喜んでくれていることと思います。‥‥」であります。
先程の「ただし、感じることはできます。」に返りますが、「あなたは、先程の挨拶で、《さぞかし、故人も喜んでくれていることと思います。》と言われましたが、あれは、口からでまかせを言ったのですか?」と私がたずねると、「とんでもありません。心から、故人が喜んでくれているように思いますし、そう感じました。」との答えが返ってきます。
「それです。特に修行をしなくたって、世間で言う霊感などに関係なく、感じるでしょう。」「皆が一堂にご法縁に会い、ご法事の前には、墓参りにも行ったと聞きましたが、亡き人は、お浄土の世界からその様子をご覧になってお喜びになっておられると感じるでしょう。」
お浄土の世界もあの世に行って見てくることはできないけど、感じることはできるのです。
仏様の存在も感じることはできます。
それが信心です。
亡き人を思う気持ち、仏様を思う気持ち、その仏様の大悲にいだかれていることを感じましょう。
平成21年5月16日