今日の法話2009/06/09
「空しさからの脱出」
広辞苑で「不思議」を引いてみると、「よく考えても原因、理由がわからない、また、解釈がつかないこと。いぶかしいこと。」とあります。
実はこの「不思議」という言葉は、仏教語の「不可思議」の略で、言葉で言い表したり心で推し量ることのできないこと、仏の智慧や神通力、悟りの境地などを形容するための言葉です。
歎異抄に
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつ心の起こるとき、すなわち摂取不捨の利益(りやく)にあずけしめたまふなり。
(訳)
阿弥陀如来の誓願の不思議な力に救われて、往生が出来るのだと信じて、お念仏を称えようという心が起こった時、たちまち阿弥陀仏の「見捨てずに必ず救い取る」という願いに包み込まれる。
とあります。
仏様の力を理論や理屈で解き明かそうとしてもダメです。それは、人間の計らいを超えた領域の話だからです。
だから、不思議な力なのです。
仏様の御心に出会う人生と出会うことのない人生を比べたとき、同じ人生であっても中身の違う人生となることは不思議なことです。
親鸞聖人はご和讃で、
本願力にあいぬれば
むなしく過ぐる人ぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
とお示しくださっています。
阿弥陀様と出会ったなら、空しい迷いの人生となることはないと教えてくださる親鸞聖人の御心を繰り返しあじわいたいものです。
平成21年6月9日