今日の法話2009/11/12
あなたは、「死んだら、おしまい。」と考えていませんか。
皆さん こんにちは。
ご法事の後の雑談の中で、当家の親族の方からこんな質問を受けました。
「主人の姉が先日、バイクを運転中に車と接触する事故を起こしました。命を失いかれた大きな事故だったのですが、救急車で病院へ搬送されている途中、臨死体験を経験したのです。亡くなった父が現れて、おまえはまだこちらの世界に来るには早いと言って追い返したそうです。そのようなことは、現実に起こることなのでしょうか。」
「臨死体験」「体外離脱」などの現象を経験したことのあるかたは、現実ですよ。と言われることと思いますし、宗教的理由で否定される方や脳死を基準とした臓器移植を推進している方々にとっては、死の判断時期にかかわることですから、そのような存在を認めないということになるのかもしれません。
しかし、この問題に触れるとき、死後の世界が存在するのか、私には過去世(前世)があったのか、生まれ変わり(転生)はあるのかなど、「いのち」がいかなるものなのかを考えていかねばならないと思います。
福島大学教授の飯田史彦氏著作の「生きがいの創造」(決定版)PHP発行には、世界中の臨床心理学者、精神科医、脳神経外科医などによる科学的研究の結果が書かれています。
退行催眠(退行療法)で精神的病を患っている患者に治療を施したり、被験者による実験を行うと催眠中に患者や被験者はだんだんと年令をさかのぼり、誕生以前の記憶にまで戻るそうであります。
この本には、臨死体験についても書かれていますが、飯田氏は、魂、光の存在を「意識体」と名付け、その意識体は、転生を繰り返すが、自分の意思で目的を持って親を選び生まれ、その人の人生がいかに過酷な人生であっても、予定通りの人生であるというのです。
その修行の場の人生では、乗り越えるに可能な苦しみが与えられており、忍耐や思いやり、愛を学び、生まれ変わりを繰り返しながら、だんだんとバージョンアップした人生に挑戦し、最後には生まれ変わってこない(悟る)そうです。
その意識体が肉体を離れた時(死んだとき)、意識体は光の世界に帰っていくそうです。(中間世界 光り輝く慈悲と知恵に満ちた世界)(中間世界 先立った者たちがいる)(みんな慈愛に満ちている)
そんな世界に、光、エネルギーのような存在として帰っていき、言葉を使用しなくても意思の疎通ができるそうです。
そして、中間世には意識体の指導役がいて、愛と慈しみで皆を包み、生まれ変わりのアドバイスをするそうです。(私はこの指導役は阿弥陀様だと思っています。)(但し、私たち念仏者は輪廻転生しないのです。悟りの存在、仏となるのですから。)
詳しくは、「生きがいの創造」(決定版)を読んでいただければよいと思いますが、
信じがたい宗教や非現実的な占いや霊媒的な話ではなく、医学的に学者が書いた学術的な内容ではないかとの感想を私は持っています。
あなたは、「死んだら、おしまい。」と考えていませんか。
死後の世界の存在を信じない人もいると思いますが、死んでも終わらない永遠の「いのち」の存在、これは「魂」、「光」、「こころ」、「精神」など、いろんな表現があると思いますが、その存在は確かにあります。
死はこの娑婆世界(物質世界)にある肉体との別れにすぎず、過去から未来に向かって永遠に存続する「いのち」が私の体には宿っているのです。
H21.11.12