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今日の法話2009/12/29

「自分の中に降り積もる煩悩」

皆さん、こんにちは。

今年も残すところ二日となりました。
今年の反省と後片付け、来年の抱負に準備と心も体も気忙しい毎日です。
また、境内に降り入る?山からの落ち葉。墓地にも降り入る?落ち葉の山。
毎年のことながら掃除をする者の頭を悩ませます。
掃いても掃いても、次の日には同じように積もる落ち葉を見ていると、まるで自分の中に降り積もる煩悩のようです。

大学生のとき、日曜学校で初めて子供たちに話した法話のお題は「無知の知」でした。この言葉の語源は古代ギリシャの哲学者ソクラテスらしいのですが、私は子供たちに釈尊の仏弟子の一人、チューダ・パンタカの話をしました。

自らの愚かさを知る人は智慧者である。愚者であるにもかかわらず自分は賢いと思っている人は愚者である。
こんな結論だったでしょうか。今から考えると子供たちには難しい法話であったと思います。

周利槃特(梵語:Cuuda-pantaka チューダ・パンタカ、しゅり・はんどく)は、釈迦仏の弟子の一人。また十六羅漢の一人。チューラ・パンタカ、すり・はんどく、また修利(周陀、周梨とも)槃特、あるいは注茶・半託迦などとも書き、小道路、路辺生等と訳す。また略して槃特と呼称されることも多い。
周利槃特は釈迦の弟子中、もっとも愚かで頭の悪い人だったと伝えられる。そのため、愚路とも呼ばれた。
名前を訳したときに「路」の字がつくのは、彼の母親のエピソードによる。彼の母親は王舎城(ラージャガハ)の大富豪の娘であったが、下男と通じて他国へ逃れた。彼女は久しくして孕んだので、夫に実家に戻って産みたいと言うと夫は同意したものの、駆け落ちした罪を恐れて戻ろうとしなかった。彼女は臨月が近づいたので一人で実家へ戻る途中に、中路で男子を産んだので槃特(パンタカ、路辺生)と命名した。しかしまた同じく実家へ戻る途中に次男を産んだので、兄を摩訶槃特(マハー・パンタカ、大路)と改め、弟を周利槃特(チューラ・パンタカ、小路)と命名した。
兄・摩訶槃特の資質聡明なるに対し、周利槃特は愚かであったといわれるが、その因縁は、過去世の昔、彼は迦葉仏(かようぶつ)という如来が出世された時、賢明な弟子であったが、迦葉仏の説法を暗誦できなかった他の比丘を嘲笑した業報により、釈迦如来の出世の時には、愚鈍に生れついたといわれる。
仏弟子となったのは兄・摩訶槃特の勧めであるが、四ヶ月を経ても一偈をも記憶できず、兄もそれを見かねて精舎から追い出し還俗せしめようとした。釈迦仏はこれを知って、彼に一枚の布(あるいは一本のほうき)を与え、東方に向かって、「塵や垢を除け」と唱えさせ、精舎(もしくは比丘衆の履物とも)を払浄せしめた。彼はそれにより、汚れが落ちにくいのは人の心も同じだと悟り、ついに仏の教えを理解して、阿羅漢果を得たとされる。そして神通力を得て形体を化かすなど種々示現できるようになったといわれる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

「本願力にあいぬれば/むなしくすぐるひとぞなき/功徳の宝海みちみちて/煩悩の濁水へだてなし」(親鸞聖人 高僧和讃)
意訳‥本願力に出会ったなら、もうむなしい迷いの人生にとどまることはない。

本願力に出会うとは、愚かな私の姿が明らかになることであり、そんなわが身のよりどころが如来のご本願以外にないことを知らされることです。
今年も仏さまに育まれた一年が終わろうとしています。
来年も有難い日々を過ごさせていただきましょう。

H21.12.29