最新情報Information

  • すべて
  • お寺からのお知らせ
  • お寺の行事
  • 今日の法話
  • 釋紗音の手書き新聞
  • 教化団体からのお知らせ

今日の法話2010/05/17

「葬儀は極めて重要な儀式」

NHKの世論調査では、死後の世界を信じている人が、12%しかいなかったそうです。別の調査結果として、現代の日本人の多くが、「人は死んだらゴミになるだけ」と思っているという話もあります。
「自分は眼に見えるものしか信じない。あの世の存在は非科学的だ。」と自慢そうに自分の意見を主張する人さえいます。
「しかし、私たちは、死んだらそれで終わりなのでしょうか。ゴミになるだけなのでしょうか。」
「死んでも終わりではない。」「死後の世界はある。」「心魂は存在する。」
このことについて、あなたはどう思いますか。
亡き人の存在を感じますか?

若い娘さんを亡くしたお母さんが、お参りに行った時、こう話してくれました。
「毎日、お仏壇の前で娘と話します。」
「人が聞いたら、独り言かと言われそうですが‥」
それは、「思い出」とか「記憶」などの言葉では表現することのできない「実感?」のようなものではないかと思います。
仏さまになった愛する人の存在を確かなものとして実感しているのです。

葬儀の最中、≪亡き人は、この葬儀会場にいる。≫このことを感じながら私は儀式を執り行っています。儀式の重要性、勤める家族にとっての必要性を実感しているものとしては、葬儀の不必要論や簡略化など、特に都会に広がりつつある儀式の軽視には疑問を抱かざるを得ません。
葬儀なしで、故人が浄土に往生したことの実感を、どこに感じるのでしょうか。

人生に於ける二大イベントといえば、結婚式と葬式だと思いますが、費用について言えば、何度でも執り行うことのできる結婚式と一生に一度しか行うことのできない人生最後の葬儀では、葬儀のほうにお金をかけるのは当然だと思いませんか。
しかし、結婚式は生き金、葬儀にかける費用は死に金だと論じるものまで出てきました。
このような考えの背景には、「死んだら、おしまい。」なんだから、死んだ者のためにお金を使うのは、無駄である。との考えがあるのだと思います。

「死んだら、おしまい。」「死んだら、ゴミになるだけ。」
とんでもない。
死んだら、如来の世界、浄土へ参らせていただき、仏さまとして永遠の命をいただくのです。
葬儀はそのための儀式であり、死んだ者にとっては、「仏さまになる誕生の儀式」なのです。
葬儀は、個人にとっても残った遺族にとっても、極めて重要な儀式なのです。

あなたは、「死んだら、おしまい。」と考えていませんか。
死んでも終わらない永遠の「いのち」の存在、これは「魂」、「光」、「こころ」、「精神」など、いろんな表現があると思いますが、その存在は確かにあるのです。
死はこの娑婆世界(物質世界)にある肉体との別れにすぎず、過去から未来に向かって永遠に存続する「いのち」が私の体には宿っているのです。

葬儀を含めて、故人のために執り行う法要のすべてを、故人は見ているのです。
いい加減であって、いい筈はないのです。

H22.5.17