今日の法話2010/06/25
『人のために何ができるか』
少し前になりますが、鳩山政権時代に米軍普天間基地移設問題で、首相が全国の知事を集めたことがありました。
その中で、大阪府知事が、沖縄県の負担軽減の必要性に関し、「沖縄県などの犠牲の上に大阪府民は安全のただ乗りをしているわけだから、僕はできる限りのことをしたい。」と述べたことについて、アメリカの第35代大統領ケネディーの演説を思い出しました。
ケネディー大統領の演説は、時代を変えた演説と言われ、歴史に残る多くの演説を残しましたが、中でも素晴らしかった演説は、「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるか。それを問おうではないか。」です。
国に何かをしてもらうばかりではなく、自分が国のために何ができるか、自分が何を貢献できるかを考えることで人は国民であることを実感できるのだと思います。
ずいぶん昔のことです。
アメリカのある病院のある病室のお話です。
その病室には、7人の患者が入っていました。
彼らは、みんな死の宣告を受けた結核患者たちで、自力では歩けない末期症状の人たちばかりでした。
当時、結核といえば死に至る病だったのです。
その病室は、入口から奥の方まで七台のベットの並ぶ細長い形の病室で、横の壁の一番奥の方に小さな窓が一つだけありました。
一番奥の窓際のベッドからのみ、窓の外が見えるというものでした。
そして、窓際のベッドに寝ていたのは、ジミーという男でした。
ジミーは毎日、窓から見える外の景色を他の6人に語って聞かせるのでした。
「おーい、みんな、今日はいい天気だぞ。公園のチューリップの花が咲き始めたぞ。チョウチョウも飛んでいるぞ。」
「おーい、みんな、今日は子ども達が遠足だぞ。 みんな楽しそうだなー。
あー、手をつないでいる子どももいるぞ。かわいいなあ。」
死を待つばかりの患者たちにとって、ジミーが教えてくれる外の様子だけが唯一の楽しみでした。
そんな中、一人だけ心がすさんだ男がいました。
病室の入口から2番目のベッドに寝ているトムという男です。
トムはいつもこう考えていました。
「ジミーのやつだけ、外の景色を独り占めしやがって。」
ある朝、みんなが目覚めてみると、窓際に寝ていたはずのジミーがいません。
夜中のうちに、ジミーは亡くなったのです。
それを知ったトムは、「しめた」とばかりにほくそ笑み、「俺を窓際のベッドに移してくれ」と看護師たちに頼みました。
しかし、看護師たちは顔を曇らせ、頼みを聞いてくれませんでした。
トムは声を荒げてどなりました。
看護師たちは、仕方なくトムを窓際のベッドに移すことにしました。
移してもらう間、トムはこう考えました。
「これで、外の景色を独り占めできる。俺はお人好しのジミーのようにみんなに話してなんか聞かせないぞ。」
そして、窓際のベッドに移され、窓の外に目をやった瞬間、トムは愕然としました。
窓の外には公園も道も何の景色も見えませんでした。
ただ、隣のビルの灰色のコンクリートの壁しか見えなかったのです。
トムは一瞬にして、すべてを理解しました。
「そうだったのか!ジミーのやつは、俺たちの心を励ますために、この灰色の壁を見ながら、外の世界を想像して語ってくれていたんだ。」
その日からトムは、ジミーに負けないくらい想像力を働かせて外の光景をみんなに語り続けたのでした。
こんなお話です。
人に与える心を持ち合わせていたジミーは、結核と言う病に侵されながらも、人の役に立つことで幸せな時間を過ごしていたのだと思います。
そして、すさんだ心のトムもジミーの後を引き継ぎ、外の景色をみんなに語り始めた日から幸せになったのだと思います。
私たちは、人の役に立ったり、人を喜ばせたり、誰かの幸せに貢献することで自分も非常に幸せになれるのです。
人に何かを施すことを仏教では、「布施する」と言います。
「布施」の定義は、「見返りを求めない施し」「損得に影響されない貢献」だと、私は理解していますが、だからこそ喜びが感じられ、自分の幸せにつながるのだと思います。
「人に何かをしてもらうばかりではなく、自分は人のために何ができるか、自分は何を人に貢献できるか。」それを考えましょう。
H22.6.25