僧侶が法要の時に使う道具に「中啓」(ちゅうけい)というのがあります。
扇子みたいなものですが、涼しさを求めて煽ぐものではなく、お経の本を置いたり、ろうそくの火を消したり、結界の間仕切りとして利用したりしますが、この中啓は要の部分に一本の留めが刺さっているのですが、まだ真新しい中啓のそれが折れているのです。折れているということは留めが無いのですから、中啓はバラバラになります。
『肝心要』という言葉がありますが、正に要の大事さを実感しました。
肝心要とは、それがどんなに小さなものであっても、それが無いと全体が成り立たないということです。
さて、私の人生の要はなんでしょうか。
それが無いと私の人生全体が成り立たないものとは。
「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」(歎異抄)
親鸞聖人は、「念仏こそがあなたの人生の要ですよ。」とお示し下さったのです。
H24.5.23