今日の法話2013/09/05
『お念仏申さずにはおれない』
『人は、この世の愛欲のきずなにつながれて生きているが、つきつめてみると、独り生まれ、独り死に、独り来て、独りゆくのである。すなわち、人それぞれの行いによって苦楽の境界(きょうがい)にすむ身になるのであって、すべては自分自身がその責任を負わねばならない。だれも、これに代わることはできないのである。』(大無量寿経)
葬儀の時、子を亡くした親が自分の命を代償に代わってやりたいと棺にすがって泣く姿に出あうことがあります。
人の死は代わりたくても他者が代わってあげることはできません。
「買い物に出たついでに、あれも買ってきて‥‥」と頼めば代わりの買い物はできます。
「トイレに行ったついでに、私の分もすませて‥‥」と頼んでも代わりはききません。
トイレは代理がきかない。命にかかわる問題だからです。
死を含め命にかかわる問題は、ひとりひとりのしのぎなのです。
「独りゆく」私は死んだらどこに行くのでしょうか。
浄土に往生して仏様にならせていただくと言われても何か手放しでは喜べません。
不安と不信が混在する気持ちなのではないでしょうか。
だからこそ、その解決には真剣に取り組まねばなりません。
お寺参りをして真剣に聴聞を重ねるうちに、阿弥陀様がその答えを教えて下さるのだと思います。不安と不信のわが身が、お念仏申さずにはおれない身に転ぜられていくのです。
2013.9.5