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今日の法話2015/09/08

『亡くなった両親がやってきた』

   3年ほど前になりますが、NHKのクローズアップ現代で、臨終前に死んだ肉親などが会いにくる「お迎え」と看取りについての番組がありました。
その番組では、「亡くなった両親がやってきた」など、死を間近に体験すると言われる現象について、自宅で看取られた人の4割が体験し、そのうち8割が死の恐れや不安から解放されたというこの現象について、学術調査も進められ、幻覚だといわれてきた今までの状況とは違い、看取りの科学的調査も行われようとしているとのことでした。
   生を追及する過剰な延命治療の是非であるとか、患者が自らの死を受け止めることの必要性などを視点として取り上げている番組ではあったのですが、確かに霊的存在を肯定した上のものでした。
   「人間死んだらおしまい」なら、これらのことは、すべて否定したものになりますから、宗教的視点は別として、死後の存在はなくてはならないものなのでしょう。
   そして、私たち念仏者には、死んだら往くべきところとして、浄土が用意されていますが、来迎をたのみとするのでしょうか。
   親鸞聖人はその著書「末燈鈔」で、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。来迎の儀式をまたず。」と述べておられます。
   これは他力の信心を得た者は既に往生が決まっているのであるから、来迎のような奇瑞を期待するのは無意味であるということです。しかし、来迎の存在そのものを否定したものではありませんから、「亡くなった両親がやってきた」との話は真実なのかもしれません。