今日の法話2015/10/05
『浄土へ早く往きたい心が起こらない』
今年の4月頃から喉の調子が悪く、検査をしたところ、喉頭腫瘍が見つかり、
8月25日に摘出手術を行いました。
入院(二泊三日)しての全身麻酔による手術となったため、準備と退院後、体調の原状回復まで時間がかかりましたが、9月1日、検査結果を含む術後の受診を行ったところ、良性で終診とのことで、安堵しています。
喉頭癌に関する情報やニュースばかりが耳に入り、癌ではないのか、声を失ったら、どうやってお参りさせていただこうか、厳しい癌治療のことや、死を想像してしまい、検査結果が出るまでは不安な毎日でしたから、今はただ、ありがたい気持ちでいっぱいです。
『歎異抄 第九章-浄土は恋しからず候』には、
「また浄土へ急ぎ参りたき心のなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと心細く覚ゆることも、煩悩の所為なり。」
(また、早く極楽へゆきたいという心もなくて、少し病気になると 死ぬのではなかろうかと、心細く思うのも煩悩のしわざである。)
「急ぎ参りたき心なき者を、ことに憐れみたまうなり。」
(はやく極楽にいきたいという心のない迷いの深い者をことさら阿弥陀仏は憐れんでくだされたのだ。)
「これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と 存じ候え。」
(それを思えば、いよいよ阿弥陀仏の大慈悲のたのもしく、極楽参り間違いないと思わずにおれないではないか。)
とあります。
《浄土へ早く往きたい心が起こらないのは、結局、われわれの煩悩が多いせいであるが、煩悩が多いことは、逆に阿弥陀の本願に対して、往生は間違いないと思うというのである。》から、やっぱり煩悩だらけの私は如来のご本願のめあてであったのだとお念仏させていただいております。