今日の法話2015/11/29
『赤ちゃんの死 悲しみ抱え生きる』
2015.11.12の朝日新聞朝刊「生活」のコーナーで「赤ちゃんの死 悲しみ抱え生きる」と題した京都市の看護師Hさんの自らの経験について綴られた記事に感銘を受けました。
また、流産や死産、新生児死などで赤ちゃんを亡くす人たちの心の支えとなる全国各地の取り組みが紹介されていました。
Hさんの語る言葉の中に「悲しみは乗り越えるのではなく、抱えて生きるものだと知りました。私は2人(双子)を亡くした悲しみを、触れてはいけない話題にされることの方がつらい。あの子たちがいたからこそ、この日があるのだと思っています」とありました。
今年、私のお寺で新生児死の方の13回忌の法事を本堂で勤めました。
ご両親、その後生まれたお子さん、両祖父母、お揃いでの法要でした。
当時、まだ20才代だったご両親の新築の家に仏壇が入りました。
その後、お墓も建碑されました。
当時はお寺の法座にも度々参られていました。
ご相談の電話も度々いただきました。
その頃のことが法要を行いながら次々と思い出されました。
お経の後、ご法話をしようと振り向くと、皆が涙をぬぐっています。
「あの子がいたから、この日がある」
「あの日があるから、今日がある」
12年経った今でも悲しみは癒えないが、その悲しみを抱え、しっかりと生きる姿と受け止めました。
楽な日々ではなかったと思います。
苦しくどうしようもない辛い日々を積み重ねてきたに違いありません。
皆で阿弥陀様を前に「南無阿弥陀仏」を称えさせていただきました。
「お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんもいつかは死なねばなりません。お子さんが亡くなることがなければ、若いご両親の家にはお仏壇はなかったでしょう。お寺へ参ることもなかったと思います。もしかしたら、おじいちゃん、おばあちゃんにもそのようなご縁がなかったかもしれません。しかし、13回忌の法要で尊前に座り、お念仏申す皆さんの姿がここにあります。お子さんは、皆さんのために皆さんのもとへ仏様の国から来られた、そして、お浄土に還って行かれました。今日もお念仏を称えられましたが、称える南無阿弥陀仏はお子さんです。辛いとき、悲しいとき、うれしいとき、お念仏して下さい。お子さんはいつも、皆さんと一緒ですよ」
「悲しみは乗り越えるのではなく、抱えて生きるもの」
人生はなんと厳しいのでしょうか。
しかし、その厳しさの中から、阿弥陀様のみ光の中にいる私であったと気づかせていただくことができるのです。