皆さん こんにちは。
玉野市には、県下最大の海水浴場、渋川海水浴場があります。白砂青松の砂浜がとても美しく、砂浜から瀬戸大橋や美しい島々を望む海岸風景は、玉野市在住の私にとって自慢の場所でもあります。
そして、その海岸の松林の中に、西行法師の銅像が立っており、おそらく西行法師がこの辺りを旅して詠んだのでしょうか、台座には和歌が書かれています。
ところで、皆さんは、西行法師得度の縁となった歌をご存じでしょうか。
西行法師は、出家する前、佐藤義清(のりきよ)という武士でありました。御所を警護する役人であった様です。
毎日、馬にまたがって御所に通うのですが、その道は京都東山のふもとにありました。そこには、鳥辺野 (とりべの)という京都の火葬場があり、その道を若き義清、朝な夕なに通っていたのですが、いつ山を望んでも、人を焼く煙が上がっているのです。
歌心があった義清は、馬にゆられながら、つい口ずさみまた。
「鳥辺野(とりべの)は昨日(きのう)もけむり今日(きょう)もまた」
毎日、そう口ずさんで、御所へと通っていたそうです。
「今日も誰かが亡くなったのか、また煙が上がっている。」という意味です。
しかし、この歌は上の句だけで下の句がありません。
ところが、ある日、下の句が浮かびました。
「眺めて通る人はいつまで」
「眺めて通る私もいつのことであろうか」という意味です。
昨日までは、「今日も誰かが亡くなったのか」であったが、それは他人ごとではなかった。
「私もあの煙となる身であり、それは明日かもしれない‥‥。」
その時、彼は出家を決意したと伝えられています。
真実の道を求めるにはおれない世界が開かれた瞬間でした。
平成19年4月10日