今日の法話2007/06/03
人生に締め切りがあるからこそ、日々は充実する。
皆さん こんにちは。
ある有名な漫画家が、インタビューの中で、「もし原稿に締切りがなければ、私は作品を描くことができない。」と言っていました。
言い換えると、「締切り」があるからこそ、素晴しい作品を描くことができるということです。
ところで、これを人生に置きかえてみると、どうでしょうか。
人生の締切りとは、10才でしょうか。20才でしょうか。40才?50才?100才? 何才でしょう?
誰にもわかりません。
しかし、いつかは来る人生の締め切りがあるからこそ、日々は素晴しく、充実するのです。苦しみ、悲しみ、喜びにも意義を見出せるというものです。
そして、漫画は消しゴムで消して描きかえたり、塗りかえたりすることができますが、私たちの人生は、描きかえも、塗りかえもできません。
また、漫画は、先生が大体のあらすじを描くと、お弟子さんたちが飾り付けなどの手助けをするそうですが、私たちの人生は、トイレの代役がきかないのと同じように、自分ひとりで歩んでいかねばなりません。
一人で歩まねばならない。しかも、締切りは、必ず来るが、いつ来るかわからない。このように考えると、人生とは、孤独で寂しいものだと言えるでしょう。
こんな説明をすると、「そんなこと言われたら、不安で、暗い気持ちになってしまう。」と言われそうですが、自分の生命(いのち)を考えるということは、「生きている不思議さ」を思い、命を尊いものだと知り、人生を大切に生きることなのですから、人間の本質から目をそらす訳にはいかないのです。
命を大切にするというと、健康のために適当な運動を行い、食べ物に気を使うことだと思われるでしょうが、確かにそのことによって、一日でも長生きを願うことも命を大切にすることです。
しかし、肉体的健康をたもっても、社会的地位を高めても、財産を貯めても、それだけでは生死の問題の解決にはなりません。孤独や死への不安や、老いの苦しみがなくなるわけでもありません。
親鸞聖人は、
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
「高僧和讃」
と仰いました。
人間として生まれさせていただきながら、一生をむなしく過ごしてしまう。
これほど悲しく痛ましいことはありません。
生かされている命を喜べる身になってこそ、充実した喜びの毎日を過ごすことができるのです。
平成19年6月3日