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今日の法話2007/07/15

人間らしい人間でありたい。

皆さん こんにちは。

私は、茶道を趣味としています。
大学時代は、京都の裏千家直門の先生宅へ、お稽古に通い、将来は、お茶の世界で活躍したいと思っていた時期もありました。
岡山へ帰ってからも、近くの先生の社中となり、一生懸命お稽古をしていたのですが、段々と仕事が忙しくなり、現在は、時々お薄をいだく程度で、お茶会へ出向くことも少なくなりました。
しかし、忙しい日暮の中で、一時の静寂をあじわい、時間をかけてお茶事に参加することは、自分を見つめ返す機会にもなるので、また、時期を見て、お茶を始めたいと思っています。

茶人利休は、ある時、弟子の一人から、こんな質問を受けました。
「茶の湯で心得ておくべき最も大切なことは、何でしょうか。」
この質問に対して、利休は、こう答えました。

「一、 茶は服のよきように点て」
「二、 炭は湯の沸くように置き」
「三、 花は野にあるように」
「四、 夏は涼しく冬暖かに」
「五、 刻限は早めに」
「六、 降らずとも傘の用意」
「七、 相客に心せよ」


しかし、その弟子は、このくらいなら誰でも知っていることだ。こんなことなら、わざわざ質問する必要はないのにと、不服そうに言いました。
「それくらいなら、私でも、よく存じています。」
すると、利休は、
「それだけ自信があるなら、今、私が言った通り、一つの間違いも無く、お茶事をやってごらんなさい。もし、それができたら、私は、あなたのお弟子になりますよ。」と答えたというのです。
私達は、頭で、理屈でわかっていても、なかなか実行はできないものです。

大乗仏教における修行の一つに、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」というのがあります。その六つの道の一つに、「忍辱(にんにく)」というのがあります。
「はずかしめをたえる。」と書きますが、他から非難を受けても、迫害を受けても、我慢をして、反撃したり仕返しをしたりせず、それに耐え、相手をあわれみ、愛情を持って接することを言います。
私にだって「人を愛することはできる」と言われるかもしれません。
しかし、私の愛するのは、私にとって好きな人、言いかえれば、都合のいい人、私にとって都合の悪い人を愛することは、なかなかできるものではありません。

人を愛することは、人を憎むより、はるかに難しく、それを実行する態度は、頭で考えるより更に難しいものです。
しかし、そこが人間らしい人間と、畜生のような人間の境目となるのではないでしょうか。

人間らしい人間でありたいものです。

平成19年7月15日