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今日の法話2007/10/22

「いかに生きるか。」

皆さん こんにちは。

ご門徒に、90才間近でありながら、とてもお元気な、おばあちゃんがいらっしゃいます。その年になっても、しっかりと人生を生き、毎日の暮らしの中に、健康を維持するための努力を怠らない姿勢が見うけられます。
お寺の役員も勤めてくださっていますし、ご法座も欠かしたことがありません。
進んで行なう公園の掃除、町内や老人会のお世話、お寺の廃品回収も休んだことがありません。
悩みや苦しみもあると思いますが、愚痴など聞いたことがありません。
「元気やね、おばあちゃん。」と私が声をかけると、「お寺のご奉仕をさせていただいているし、仏さんが守ってくれているんや。」と言います。

さて、ある地域の60才以上の人を対象に、「余暇を何に利用していますか。」という調査が行なわれました。
その結果は、一番が「趣味・娯楽」、二番が「行楽・旅行」でした。実に両方を合わせて半数以上になりました。
次に、「今後の人生をどのように生きますか。」との質問には、半数以上の人が、「目的がない」と答えました。
最近は、デイケアー施設へ訪れる人も増えていますが、私の周囲を見ても、朝から晩までテレビにしがみつき、誰ともしゃべらず、家から出ることもない高齢者の方が少なからずおられます。どんどん孤立し、それと同時に、身体の衰弱を招き、老いに落ち込む姿と言えます。
老人医療の専門家は、認知症にならないための心得として、身体を動かすことと頭を働かせることだと指摘し、しかもそのバランスを保つことだと言っていました。
具体的には、ゲートボールやグランドゴルフのようなスポーツや歩くこと、先ほど話した門徒のおばあちゃんのように、進んで公園の掃除をすることだと思います。また、頭を使うこととして、人と話すこと、一人であっても、日記や手紙を書くことが効果的だと言われています。

そして、半数以上の人が、「目的がない」と答えた、「いかに生きるか。」に対しては、何より「宗教心」が必要となります。
「いかに生きるか。」とは、いのちの問題であり、これは、宗教心無くしては解決いたしません。
生死の問題を解決し、与えられた一生を力強く精一杯生きていくにはどうすれば良いかを教えてくれるのが宗教なのです。

私達は、「いかり、はらだち、そねみ、ねたみ、しっと」など、自分中心で自分の幸せのみを追おうとする我欲の心の繰り返しで年を取り、一生を送ってしまいます。
大切ないのち、自分のいのち、そして人にもいのちがあり、その人との交わりと責任の上に生活を営んでいながら、往々にして、一日一日をひたすら衣食住の為のみに走り回り、人間が本能的に持っている喜怒哀楽に埋没して人生を送ってしまいます。

しかし、ただやみ雲に走るのではなく、何を求め、何に向かって生きているかを正しく教え諭し、自らを見つめ、自らの本質を知る必要性を説いてくれるのが仏法であり、その縁を通じて、私達は、実に力強い人生を送ることができるのです。

平成19年10月22日