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今日の法話2008/05/13

言葉の悪業と宿業の無自覚が招く結果

皆さん こんにちは。

一つの言葉でけんかして
一つの言葉でなかなおり
一つの言葉におじきして
一つの言葉にないている
一つの言葉はそれぞれに
小さないのちをもっている
みんなで言おうよ ありがとう

人間が生まれながらに持ち合わせた悪業を身三口四と言い、身に三つ、口に四つあると仏教は教えています。
特に口の四つの悪業とは、いわゆる言葉の悪業のことです
言葉は人と人の間の意思を伝える手段として無くてはならないものであり、「口は重宝」という言葉だってあります。しかしながら、「口は災いの元」とう言葉があるように、使い方を誤ると取り返しのつかない抜き差しならない問題へと発展します。
人の話を聞いてなるほどとうなづけるのは、発した人のこころが聞くもののこころにまで響きとどくからであり、したがって血の通う言葉に、人はこころをゆり動かされるのです。

口の四つの悪業とは、「悪口、両舌、妄語、綺語」をいいます。
「悪口」とは、善良な人を汚く罵しり、軽蔑軽視する言葉であり、そのことにより人の心を痛め傷つけます。そして、その罪に気付くこともない希薄な意識は、人の心を苦悩させる因となります。
「両舌」とは、人を区別して言葉を使い分け、そのことによって自分の善人ぶりを知らしめようとする行為をいいます。
「妄語」とは、嘘のことです。
「綺語」とは、おべんちゃらのことです。

これらの「悪口、両舌、妄語、綺語」を使うものは、自分を尊貴で自大だと思い込みます。
権力を手中に収めると、自分が偉い人になったと思い込むのです。自分の偉さを誇示し、人の心を操ろうとします。そう思う心は、「悪を偽(つく)りて恥ずること」はなく、少々の悪は許されると思い込むのです。更に、人から尊敬されていると勘違いするのです。
正に自らを知ることはなく、無自覚な自分と言えましょう。

しかしながら、このような生き方の行方には、宿業の無自覚が招く結果としての末路が待っているのであり、空しさ、寂しさ、孤独さのみが存在することとなります。

仏法の鏡に自らの姿をうつしてみましょう。
恥ずかしくありませんか。

平成20年5月13日