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今日の法話2009/07/08

神社へ参り学んだこと 1

ご門徒の90歳近い男性Aさんは、とてもガンコで、私がもっと若い頃(20年ほど前まで)は、私にとって苦手な存在でした。したがって、当家へお参りに行くのは腰が重く、月に1度の月命日が廻ってくると、その日は憂鬱な気持ちになっていました。
「今日は良い天気ですね。」と私がご挨拶すると、「今に雨が降るぞ。」と言われ、法義の話をしても、聞く耳を持ちません。しかし、10年ほど前から、そのお宅へお参りに行くことが、むしろ他のどのご門徒のお宅へ参るより、私にとって楽しみになっていたのです。
それは、私がその方へ話しを伝えようとすることから、その方の話を聞くことに方針を変えてからのことです。
初めは分かりませんでしたが、Aさんは実に知識が豊富で、良く勉強している方でした。新聞は隅々まで読み、実に本も多く読まれている方で、Aさんの話はその知識を伝えるだけでなく、政治や経済、国際問題などを新聞の社説や評論家の話からではなく、自らの言葉で話されました。
もちろん90年の人生を歩んでいるのですから、苦労を伴う人生経験も豊富です。
したがって、時には、生き方についての話もありました。
だから、Aさんとの時間は、私にとって勉強になるとともに、刺激を受けエネルギーを授かる時間となりました。

今年の2月のA家の月命日のときです。
「住職さんは、香川県のT神社へ参ったことがあるか。」と私に聞きました。
「いや、私は僧侶ですから、神社へは参りません。神様に信仰心もありませんから‥‥。」こう私が答えると、「わしは神仏に信仰心がある。今のわしがあるのも、仏様、神様のおかげじゃ。」「浄土真宗は神社にお参りしたら、いけんのか。」「わしは、阿弥陀さんも信じとるし、神さんも信じとる。」こう言われました。
「まあ、ええ。信仰心が有ろうが無かろうが、まあいっぺんT神社へ行ってみい。」
「ただし、ただ参るだけじゃ、いけんで。ちゃんと、お供して、お祈りしてもらうんや。お供は五千円からやから、五千円でええから。」

如来様のご本願により、救われる身であり、それを伝道する立場の私だか、弥陀一仏のご開山親鸞聖人や蓮如上人でさえも、「諸神、諸菩薩を軽んずべからず。」と説いている。
これからのお寺は、共存と寛容が必要であり、僧侶も他の宗教であっても、良いところを取り入れなければならない。(寺院運営において)

それから数日後、私は、寺からフェリーで1時間、フェリーを降りて車で30分ほどの距離にある香川県のT神社を訪れました。

そこで感じたもの、学んだこと、なぜAさんが私に参るよう進めたかを自分なりに解釈した内容については、今回は少し長くなりましたので、次回に書かせていただきたいと思います。

H21.7.8