今日の法話2009/10/04
祖母を亡くした子供の質問
皆さん こんにちは。
当家のおばあちゃんの七日参りの帰り際に若いお母さんからこんな質問をいただきました。
「9才になる息子がおばあちゃんの死を真剣に考えているのです。先日知人の祖母が100才で亡くなりました。その葬儀に息子も連れていきましたが、その帰り道、息子にこう問われました。」
「僕のおばあちゃんは70才で亡くなったのに、100才で亡くなる人もいる。どうしてなのか。早く死んだ僕のおばあちゃんはかわいそうな人なのか。」
9才の子供であってもその場限りを取り繕うような解答はできません。
「お母さんからこのように伝えてください。」と言いかけた矢先、その子を父親が私の前に連れてきました。
「お忙しいところを申し訳ありませんが、私たちでは子供の問いにどう答えればよいのかがわかりません。住職さんから直接子供に話してはいただけないでしょうか。」
付け加えると、この日は、当家の満中陰法要の前の六七日法要の日のことですから、その子は祖母の七日参りで毎回私が話す法話を聞いており、思い返せば二年前に亡くなったその子の祖祖母のお参りのときにも、その子は真剣に私の話を聞いていた記憶があり、9才といえども仏法を聞いていたからこその問いであると私は思いました。
「おばあちゃんも100才まで生きればどんなにかよかったね。でも、亡くなった。寂しいことだね。しかし、人の命には限りがあるのだよ。そして、その命の長さは、人それぞれによって違うのだよ。いろんな縁というものが絡み合って僕たちは生きているから、病気になったり、事故にあったりもする。100才まで生きられないこともある。命のあるものは、いつかは死なねばならない。この宇宙で命のあるものは、いっぱいあるね。セミやカブトムシなども命あるものだけど、カブトムシは夏を越すことなく死ぬし、セミは一週間しか生きられない。生きてほしいと願っても、死なねばならない。
残念で、寂しくて、悔しくて仕方ないけど、どうしようもない。だから、命は大事なのだ。みんなの命が大事なのだよ。そして、人の命だけでなく、草や木や魚、犬や猫の命もすべて大事なのだよ。お父さん、お母さんを大事にしようね。そして、おばあちゃんは亡くなったけど、今は仏様になっているのだよ。仏様は、いつも僕を見守り、一緒にいてくれるのだよ。いつも、僕が幸せになることを願ってくれているのだよ。」
玄関先での立ち話でありました。
本山の念仏奉仕団と大谷本廟への祖母の納骨へこの子も学校を休んでご両親と参加することになりました。
H21.10.4