皆さん こんにちは。
初春のお慶びを申し上げます。
中国、宋の時代、戴益(たいえき)という人の詩に、「春を探る」という詩があります。
「春はどこだ。どこかに来てはいないかと、いろいろたずねてまわったが、どこにも春を発見することは出来なかった。わらじがすり切れるほど歩いて、すっかりくたびれてしまった。しょんぼり我が家へ帰って、ふと庭先の梅の枝にさわってみたら、何ということだ。春は、もうここに来ていたではないか。」
こんな詩であります。
そわそわうろうろしなくても、春は自分の足元にあったのです。
私たちは、自分を主張すること、相手に責任を追及することなど、外にばかり目を向けています。
しかし、少し、自分の内に目を向けて下さい。
血眼になって幸せを探すのではなく、落ち着いて足元を見れば、見失った幸せに気づくものです。
手偏に合わすと書いて、「拾う」という字になります。
手を合わし、仏法に接し、幸せを拾う身にならせていただきたいものです。
忙しい日暮の中にあって、ともすれば心と行いがバラバラになった生活を送っていた私であったと気づかせていただきましょう。
平成19年1月1日