今日の法話2006/12/27
相手の心を読み取ることのできる機械
皆さん こんにちは。
マンガ「どらえもん」で、相手の心を読み取ることのできる機械が登場していました。ご存知のように、どらえもんが自分のポケットから機械を出して、のびたくんが使うのですが、子どものマンガなのですが、余りにも面白いので見入ってしまいました。つまり、相手が心で思ったことがわかる機械です。
仏教では、人間の行為を体、口、心の三つに分けています。身・口・意の三業と言いますが、人間は、生活する上で、体を使って行動し、口で話し、心で思うということです。
現代、体で行うこと、話すことは、そのままを再現することのできるボイスレコーダーやビデオなどが発明され、人々により、当たり前に使われています。
しかし、心で思ったことをそのまま再現する機械は見たことがありません。もし、そのような機械が出来たらどうでしょうか。人の心を覗きたい、人が何を考えているのか知ってみたいと思うでしょう。しかし、自分の心を人に知られることはどうでしょうか。口で言った事と心は大違い。争いが絶えないことでしょう。
ただ、心配しなくても、どんなに文明が発達しても、心のわかる機械はできないでしょう。では、自分の心を自分で知ることはできるでしょうか。「自分の心だろ、そりゃー自分の心は、自分でわかるよ。」と言われるかもしれません。
しかし、私の本当の姿、人間の心の奥底の心理は、何かに照らし合わせねば、なかなか発見できません。それを発見することが宗教の役目であり、自分の本当の姿を知り、自己に目覚めることが救いとなるのでしょう。
阿弥陀如来の智恵の光明に照らされ、自分の姿を知らされたとき、罪悪深重のわが身に気づかされるのです。
親鸞聖人は、そのような私を、「無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」と仰っています。
自分の姿を知らされたとき、如来様に救われる私であることに気づくのです。
平成18年12月28日