最新情報Information

  • すべて
  • お寺からのお知らせ
  • お寺の行事
  • 今日の法話
  • 釋紗音の手書き新聞
  • 教化団体からのお知らせ

今日の法話2007/03/21

お彼岸の意味

皆さん こんにちは。

今日は、彼岸の中日です。
この時節の時候の挨拶は、例年なら、「暖かくなりましたね」「彼岸らしくなりましたね」なのですが、今年は2月に暖かかった分、3月はとても寒く感じます。

昔から彼岸の頃は、春の彼岸でも秋の彼岸でも、最も気候がよく、過ごしやすい時期だと言われています。
彼岸とは、詳しく言うと「到彼岸」、梵語のパーラミター(波羅蜜多)を訳したものです。
「到彼岸」を直訳すると、彼の岸に到る、つまり涅槃の悟りに向かうことを言いますが、最も時候の好いこの時期こそ油断しないよう、仏道修行を積むようにとのことでしょう。

浄土真宗の私たちは、お彼岸の意味を如来様の本願に育まれている身の有難さを改めて喜ばせていただく時期と捉えなければなりません。
寒い寒いと言っていても、やがて夏がやってきます。暑い暑いと言っていても、夏は終わり、また寒い冬が訪れます。
一年はあっという間に過ぎ、人の一生はあっという間に過ぎ去ります。

「人の一生」と言えば、思い出されるのがバグハムのお話です。
昔、バグハムと言う名の欲深い金儲けのことばかり考えている男がいました。
ある日、バグハムは、ウォルカと言う開墾地へ行くと好きなだけ土地をくれると言う話を耳にしました。
バグハムは、急いでウォルカへ向かうのですが、行ってみるとそこには見渡す限りの原野が続いていました。
彼はその土地の酋長にかけあい、酋長から、「あなたが一日中歩けるだけの土地をあげましょう。」との約束を取りつけました。
バグハムは一晩中まんじりともせず夜の明けるのを待ちました。
そして、太陽が東の地平線に上がるや否や、無我夢中になって草が生い茂った原野を走り続けました。
「なにくそ、もうしばらくで王様のような暮らしが出来る。」と希望に輝きました。
ちょうど陽が西の山に没せんとするころ、やっと出発地に帰り着きました。
大勢の人が彼の超人的な努力と忍耐を賞賛し、彼の前途を祝福しました。
しかし、彼の喜びもつかの間で、極端な疲労のため、倒れこんで死んでしまうのです。

私たちは、希望が無くては生きられません。成長もしないでしょう。
したがって、希望は、人間にとって必要なことです。
しかし、その希望が苦しみを生み出す材料になっていないでしょうか。

曇鸞大師は、「不実功徳真実功徳」と申されています。
私たちの求めるものは、「不実功徳」つまり、空中の楼閣、業の種であるにもかかわらず真実のごとく妄想しているということです。
それは、やがて苦しみとなります。

そんな生活を浄化するには、「真実功徳」の実在に目覚めなければなりません。
親鸞聖人は、「真実功徳」は「誓願の尊号なり」と仰いました。
仏の願いに目覚めると言うことでしょう。
つまり、お彼岸は、私の人生に目覚める時期でもあるのです。

平成19年3月21日