今日の法話2007/04/28
「自分ほど不幸な人間はいない。」
皆さん こんにちは。
お葬式の時、葬場勤行の中で、私は下記の親鸞聖人のご和讃を拝読いたします。
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし
「高僧和讃」
私たちの人生の出来事とは、泣くこと、悲しむこと、苦しむことがなんと多いのでしょうか。
しかし、そんな人生の出来事が、私にとって無駄ではなかったと、私がうなずいていけるならば、私の人生は光り輝くものになるに違いありません。
「むなしくすぐる」とは、悲しみ、苦しみの中で、喜怒哀楽という人間の感情だけで、それを受け止めて、しかもその悲しみ、苦しみは、時が解決してくれるだろうと、根無し草のような人生を送ってはいないかと言うことです。
大切な人を亡くした悲しみ、自らの病の苦しみ、将来への不安、それらは誰もが出会わなければならない出来事なのです。
随分前の新聞に、ある一人の女性の記事が掲載されました。
その方は、中学二年の息子さんを、学校の体育時間に事故で亡くされたのです。
大変痛ましい出来事でした。
その新聞の記事を読んだ全国の読者から、多くの投書がその女性宛に届きました。
それは、同じように自分の子供を亡くした親からの励ましの手紙でした。
それに対して、この女性のお礼の手紙が、その後、新聞に掲載されました。
「自分が日本一不幸だと思っていましたが、それが間違いであることに気づきました。」との記事でした。
私たちは、悲しみ、苦しみに出会うと、「なんで自分だけが。」という気持ちになります。
「自分ほど不幸な人間はいない。」と卑屈な人生を送りがちです。
しかし、その悲しみ、苦しみの中に、無上の意義を見出したとき、悲しみ、苦しみは、単に不幸な出来事ではなくなるのです。
先日も、まだ働き盛りの40才になったばかりのご門徒の葬儀がありました。
私が法話で、その家族に話したことは、「悲しいでしょう。つらいでしょう。止む終えないことです。しかし、如来様のご本願をしっかりと、わが身の上に聞き開いて下さい。亡くなった方を、私を導く諸仏として拝むことが出来たとき、悲しい出来事は、単に悲しい出来事ではなく、無上の意義を持ってくるのです。」と話をしたことです。
平成19年4月28日