今日の法話2007/07/24
地獄、極楽は、本当にあるのか?
皆さん こんにちは。
お盆が近くなりましたから、門信徒の方から、お盆に関する質問をお受けする機会が多くなりました。
お盆の意味については、次回の「今日の法話」で書かせていただくとして、今日は、先日、檀家の方から受けた、こんな質問にお答え致したいと思います。
「住職、地獄とか極楽というのは、本当は、無いんでしょう。人が悪いことをしないように、この世の戒めとして作られたものだと、私は思うんですが‥‥。」
こんな質問でした。
この方の考えは、「良いことをすれば極楽行き、悪いことをすれば地獄落ち。」という考えです。
皆さんも、こんな考えをしていませんか。
しかし、仏教でいう地獄、極楽は、このような道徳的な次元の話ではありません。
私は、この方に、こんな話をさせていただきました。
ある男が、お釈迦様に質問をされました。
「地獄、極楽というのは、本当にあるのでしょうか。」
お釈迦様は、お答えになりました。
「付いてきなさい。」
男は、一つの部屋へ連れて行かれました。
とても立派なその部屋には、天井にシャンデリアがキラキラと輝き、真中には、白い布のかかったテーブルがありました。
その上には、豪華なご馳走が並べられています。
ところが、周りの椅子に腰掛けている人たちは、みんな骨と皮で、やせこけ、真っ青な顔をして、何か言い争っています。
よく見ると、人々の両腕に、柄が2メートルもあるナイフとフォークが縛り付けられ、動かないように固定してありました。
このため、人々は、ナイフとフォークを使って、何とか食べようとしますが、口に入れる前に、食べ物が床に落ちてしまいます。
ご馳走を目の前にしながら、飢えて、もがき苦しんでいるのです。
つまり、これが地獄なのです。
男は、もう一つの部屋へ連れて行かれました。
部屋の建て方も、中の様子も地獄と全く同じでした。
テーフールを取り囲む人々の手には、やはり2メートルもあるナイフとフォークが縛り付けられています。
しかし、その人たちは、みんなよく肥えていて、血色もいいのです。
ご馳走を口にしながら、笑い、楽しそうです。
どこが違うのかと、注意して眺めてみると、長いフォークとナイフを使って、向いの人とお互いご馳走を与え合っているのです。
つまり、これが極楽でした。
男は、こうして地獄と極楽の道理を知ることが出来ました。
つまり、地獄は、始めから作られている世界ではないのです。
私が作り、私が落ちていかねばならない世界なのです。
地獄があるか無いかを議論しているようでは、私の生き様に気付くものはありません。感じていくものもありません。
自分の生き様を厳しく反省するところに、地獄は、私が落ちなければならないところとして、確かな存在となるのです。
そして、そんな私を救ってくださる如来様のご恩も喜べるのです。
平成19年7月24日