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今日の法話2008/01/01

「新年の法話」

皆さん こんにちは。

新年に際し、いろいろな希望を抱き、思いを持ち、心新たにして、お正月をお迎えのことと存じます。
私も、昨年、一年の終りには、ちりを払い、掃除を行い、除夜の鐘をつき、修正会のお勤めをして新年を迎えました。
この時期、私たち念仏者は、もう一度、お念仏の心を思い、私のあり方を考えなおす必要があるでしょう。

ところで、昨年の除夜の鐘も大勢の参詣がありました。
私が、未だ幼い頃は、境内に梵鐘がなかったので、大晦日のお参りは、数人のご門徒が参る程度でした。ところが、ご門徒の皆さんのおかげにより、鐘楼が出来てからは、ご門徒のみならず近隣の他宗の方々も大勢参詣されるようになり、毎年、賑やかに新年を迎えさせていただいております。
お寺の今があるのは、多くの皆さまのおかげさまと感謝いたしております。

そして、本願寺も、そうでした。
けっして、一足飛びに現在の本願寺が出来上がったのではありません。
八代門主蓮如上人ご誕生前の本願寺は、「人跡たえて、参詣の人、一人もなく、さびさびとしておわします。」といった状態でした。阿弥陀堂は、三間四面のごくこじんまりとしたものであり、御坊も狭く、小さく、人のいる気配も見えないほどひっとりと静まり返っていました。
そんな本願寺が今あるのは、その礎を、空念仏ではない、阿弥陀如来のみ名を称える称名、真の念仏を称える人たち、念仏の行者によって踏み固められたからに違いありません。
年を新たにして、「おかげさま」でと生かされる「いのち」に思いを馳せ、どんなに小さくても、どんなに力が弱くても、それぞれに役目があり、生きる道のあることを思いましょう。
蓮如上人は、廊下に落とされた紙の切れ端を拾い上げ、両手でおしいただかれたと言われます。
いかなるものも無駄にしない教え、それが仏教なのです。
今年も一年、恵みを喜び、阿弥陀様に生かされる「いのち」のあることを感謝する日々を過ごしたいものです。

平成20年1月1日