今日の法話2007/02/09
政治家の失言問題に思う
皆さん こんにちは。
政治家の失言問題が、ニュースや新聞を賑わしていますが、昔から、「口は重宝」とも「口は災いのもと」とも言われているように、使い方一つで、抜き差しならない問題と成りかねません。
今回の問題は、そのことを如実に表わしているでしょう。
仏教では、十悪という教えがあります。
身に三つ、口に四つ、心に三つ(三業)の三側面で認められる取り分け悪い10の行いを言うのですが、その中で口の四つというのは、妄語(もうご)、綺語(きご)、悪口(あっく)、両舌(りょうぜつ)の四つで、妄語とは嘘をつくこと、綺語とはおべんちゃらを言うこと、悪口とは悪口(わるぐち)を言うこと、両舌とは二枚舌を使うことを言います。
妙好人(みょうこうにん)源左(げんざ)さんにまつわるお話をいたしましょう。
源左さんゆかりのお寺『願正寺』は鳥取市青谷町にあり、法親寺でも一昨年仏教婦人会でお参りに行かせていただきました。
源左さんは、ある日、草刈をしていました。草を刈っていると、草を刈る源左さんの手を蜂が刺したんです。思わず手にした鎌(かま)を取落として左手でその蜂を捕まえたそうです。
捕まえられた蜂が、手の中でブンブン鳴いています。その左手を静かに開きながら一言、
「われにも人を刺す 針があったかいやあ、さてもさても、ようこそようこそ 」
痛む手をなぜながら、ようこそようこそとお念仏したそうです。
「われにも」とは、「おまえも」ということですが、「おまえも」の「も」の字に千金の重みがあるのですが、「おまえも」とは、「この私こそは」と言う意味でしょう。
心の中に、人を刺す針をいっぱい詰め込んで、不用意にもらす一言一言が、どれだけ多くの人を刺していることか、そんなお粗末な私であることを、蜂が私を刺して教えてくれた。どうして、蜂に恨みが言えようか。と、蜂に感謝したと言うのです。
仏教とは、自分に目覚めることであり、目覚めた人の生き方は、常にわが身が問われていくのです。わが身を問うということは、わが身が見えるということであり、人間の本質を知るということです。
人間の本質を知れば、自らを律し、自ずと言動にも注意するようになります。
一度きりの人生、やり直しのきかない人生なればこそ、教えの大地をしっかり踏みしめ歩んで行きたいものです。
平成19年2月9日