今日の法話2007/02/15
僧侶の仕事は「掃除と読経と勉強」
皆さん こんにちは。
私は、自分の趣味のことを、ホームページの住職プロフィールで書いていますが、その一つに、「車の洗車」があります。
先日も、次の日に雨が降るのを知っていて、寺の駐車場で洗車をしていました。
車を洗う横を近所の人や、門徒の人が通るのですが、その日も通りかかった人が、「きれいに洗われているけど、今晩から、雨ですよ。」と親切に教えてくれました。
もちろん、私は、ニュースで天候を知っていたのですが、車を洗う手を止めて、「そうですか、ご親切にありがとうございます。」と答え、その人が通り過ぎると、また、車を洗い続けました。
車をみがくことが、私の趣味になったのは、今から、20年近く前からだと思います。その頃、五木寛之の「雨の日には車をみがいて」が出版され、それを読んだのですが、少しは、その影響もあったかと思います。
五木寛之さんは、50才の時、龍谷大学で仏教史を聴講し、近年では、親鸞や蓮如に関する本を多く執筆し、「百寺巡礼」などのテレビ番組に出演するなど、仏教や真宗の教義を小説家としての視点から平易に説いておられます。
私も、「生きるヒント」や「自力と他力」などのエッセーを始め、彼の多くの書籍を読みました。
ただ、「雨の日には車をみがいて」は、車と恋の物語なのですが‥‥。
私は、僧侶の仕事は、「掃除と読経と勉強」だと、恩師から教わりました。
仕事の一環として、本堂や境内の掃除も毎日行いますが、車を掃除する理由は他にもあります。車を掃除するとき、私は、必ず、メモとペンを用意して行います。様々な考えや、新しい発想が、頭の中にひらめいた時、忘れないように書き留めるためです。即ち、私にとって、洗車の時間は、考えをまとめる時間でもあるのです。
掃除と言えば、お釈迦様の弟子で、周利槃特(シュリハンドク)と言うお弟子がおられました。物忘れがひどく、自分の名前すら覚えなかったと言われているお弟子です。しかし、お釈迦様に与えられた一本のほうきで、「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除かん」と念じ続け、掃除を行い、悟りを開かれた方です。
「掃除をすることは、心を清めること。」これも、確かだと思います。掃除をすると心がスッキリしますからね。
ただ、本堂も境内も車もきれいに掃除しても、次の日には、また、ほこりが積もっています。
それは、まるで、私のこころの様ではありませんか。
だから、また、掃除をするのです。
毎日、毎日。
平成19年2月15日