今日の法話2007/09/09
苦しみの原因は、執着。
皆さん こんにちは。
仏教に、「諸行無常」という言葉があります。
「諸行」とは、形あるもの、すなわち、目に見、手に触れるももの、「無常」とは、常に一点に止まるものは無い。すなわち、変化するということです。
これを具体的に、「生者必滅 会者常離」と言います。
すなわち、この世に形を持って生れてきたものは、成長し、衰え、死んでいくと言うことです。
出会ったものは、いつかは、離れていかねばなりません。
私達人間は、物事を理論的に考えます。
そんな人間にとって、「生者必滅 会者常離」は、当然のこととして、理解できるに違いありません。
当然なこととして、受け止めることもできるでしょう。
しかし、それなら、それで良いのかと言うと、そうではありません。
そこには、苦悩が付きまとうからです。
愛する夫と死別した夫人が、はらわたがちぎれるような悲しみと苦しみを受けています。
しかし、隣の主人が亡くなっても、気の毒だとは思うでしょうが、悲しみもあるかもしれませんが、声を上げて、身をもって悲しむかと言うと、それはわかりません。
そこに悩みの原因があるように思います。
すなわち、悲しみの原因は、苦しみの原因は、「執着」なのです。
夫を亡くして悲しむ夫人の悲しみの原因は、わが夫に対する「執着」、恋愛をして、失恋に苦しむ人にとって、苦しみの原因は、相手に対する「執着」なのです。
すなわち、「執着」が、悩みの根本と言うことができます。
こんな悩める私達だからこそ、仏様にとって、救いの対象となるのです。
悩みや苦しみを感じていない人にとっては、救われる喜びはありません。
苦悩を縁として、法を聞き、生きる力を見出してください。
平成19年9月9日