今日の法話2007/09/17
「お経」は、「死者へ授けるもの」ではない。
皆さん、こんにちは。
「お経をあげる」と言う言葉が、世間にあるものですから、「お経」は、「死者へ授けるもの」、「死者への追善供養」と思っている人が、多いようです。
しかし、浄土真宗では、そのようなことは言いません。
お経をいただくと、「三部経」の結びは、すべて、「このお経のご縁に遇うた者は、みな喜んで、その場を去って行かれた。」とあります。
ここにお経に遇うことは、喜びであることが示されています。
しかし、よく言われることに、「お寺さん、え〜お経、あげてよ。死んだ人には、お経が何よりのご馳走やからな。」とか、「故人に、ありがたいお経をあげて、喜んでもらわんと。」などがあります。
亡くなった方を思う気持ちはわかりますが、「お経は、死んだ者へあげるもので、生きている者とは関係のないもの。」と思っている人が多いようです。
しかし、お経には、凡夫の救い、私の救いが説かれているのです。
だから、凡夫の救い、私の救いにあった時、喜んでその場を立ち去ることができるのです。
お通夜のご法話で、私が決まって話すことは、人間が人間に教えることの中で、自身の死をかけて教えることほどに厳しくも尊い教えはないのだから、今晩はこんな時ではないとあじわえないものに出会って欲しいということです。
今日在って、明日亡き人の命を見る時、「はかなさ」を感じます。
「老・病・死」が、わが身の問題と思えてきます。
そんな時、私の行くべき確かな道すじを示してくれるのが、お経であり、そんなお経のご縁にあう時、自然と頭が下がり、手が合わされ、ご縁を下さった故人が偲ばれるのです。
お彼岸に際し、お経のご縁にあい、仏様へ、感謝のお念仏をいたしましょう。
平成19年9月17日