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今日の法話2007/09/30

「満中陰法要と迷信」

皆さん こんにちは。

先日、お葬儀をすませたご門徒が、ご家族揃って、お寺にお礼に参られました。
葬儀の日に、私と相談の上、満中陰法要(四十九日)の日取りを決めていたのですが、親戚の者から、「満中陰法要が三月にかかると良くない。と言われたので、三十五日で法要を行ないたいのですが‥‥。」との相談を受けました。

私は、「そうですか。ご当家が、三十五日で満中陰法要を行ないたいと決められたのなら、私は、その日に参らせていただきます。ただし、私の話を聞いてください。」この様に、前置きをして、浄土真宗の満中陰法要の意味と、迷信がいかに人を迷いへと導き、やがて苦しみの種となるかを話し、そのことを誰より悲しまれるのは、お葬儀を済ませたばかりの故人ですよ。と付け加えました。

四十九日までの七日ごとを一節として、七回繰り返す葬送儀礼は、十王経、十三仏事などを説として、古来より、仏事として定着し、現在に至っています。

死亡日から数えて、七日目を初七日、次の七日目を二七日、以後三七日、四七日‥‥というように、七日ごとに勤める法要を中陰法要と言います。
満中陰は、中陰が満つる。すなわち、いっぱいになる事です。風呂の水が、満タンになる。海が満潮になる。の満と同じ意味です。
そして、満中陰法要は、特に丁寧にお勤めいたします。

浄土真宗では、中陰法要にしても、満中陰法要にしても、けっして、追善供養や冥福を祈るための法要ではありません。
肉親の死を目の当たりにした悲しみの中から、故人の遺徳を偲ぶとともに、これを縁として、私の人生の拠りどころとなって下さるお念仏の教えを聞き、阿弥陀如来様への感謝の念を深めるための行事です。
お経の意味を学んだり、作法を勉強したり、住職の法話を聴聞していただき、亡き人が、いったいどこに存在しているのかを感じ、そのことにより、私の後生の解決を確かなものとしていくことが法要の意味なのです。

ところが、この中陰に関して、「四十九日が三月にかかると良くない。」という、迷信が広くゆきわたっています。そして、そのことにより、三十五日で満中陰法要をすませる方が増えているのです。
それは、四十九日が三月にかかると、「仏が始終苦しむ。」とか、三月は、「仏が生きているものの身につく。」、或いは、「始終苦が身につく。」など、わけのわからない、根拠のない語呂合わせによる迷信なのです。まるでパチンコ屋さんに、4や9の台がないのと同じレベルの話と思いませんか。
語呂合わせを気にして日を変えるようでは、何のための法要かわからなくなってしまいます。
決められた中陰の日でないと絶対にだめだとは申しませんが、迷信によって日を変更したり、振り回されるようなことがあってはなりません。

ちなみに、本文冒頭に書かせていだいたお寺に参られたご門徒の方は、私の話の後で、「勉強になりました。やはり、当初の予定通り、四十九日の日程で、満中陰法要をお願い致します。」とおっしゃって、お帰りになりました。

中陰法要は、亡き人の与えてくれた仏縁です。
大切にお勤めさせていただきましょう。

平成19年9月30日