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今日の法話2008/02/06

「真実の親の愛」

皆さん こんにちは。

最近、親子が互いに被害者、加害者となる痛ましい殺人事件が多いことに、驚きます。
随分前のことですが、女子中学生が母親を刺すという痛ましい事件がありました。中学生のA子が自室で勉強していると、廊下で母親がため息をつくのが聞こえたので、A子が「なぜ、ため息をつくのか」と尋ねると、母親が「あなたの努力が足りないから」と言ったので、カッとなって刺したというのです。
母親は、一命を取り留めましたが、娘は殺人未遂で逮捕されました。
新聞には、母親が「自分で誤って刺した」と、A子をかばっていると書かれていました。
私は、ここに、罪を犯したわが子を見捨てることのできない母親の愛、うそをついてまでも、共に歎く親の姿を見ました。

親鸞聖人に身近につかえた唯円の著書「歎異抄」は、「異なるを歎く」と書きます。
親鸞聖人が往生されたあと、聖人が言いもしなかったことを言いふらす者たちが大勢いました。そこで、直弟子唯円がその異端を歎いて、聖人の本当の言葉を後世に伝えようとして書いたのが「歎異抄」です。
そこで問題なのは、「異なる」ということです。
異なるということは、要するに間違っているということ、誤りです。
聖人が命がけで説いた浄土真宗の教えが、間違って伝わろうとしている。本来なら、それを退け、打ち破り、間違いを攻める行動にでるのが、本当なのかもしれません。
ところが、「歎異抄」には、「歎く」とあるのです。
この、「歎く」に、私は、罪を犯したわが子をかばう母親の心境に似たものを感じるのです。
近所の非行少年が、警察に手錠をかけられ連行されていく様子を見たら、「やれやれこれで安心して眠れる。」と笑って見送ることもできるでしょう。
しかし、わが子が手錠をかけられていく様子を見たら、親は笑って見送ることなどできません。
間違いを犯したわが子を抱きしめ、どこまでも歎かずにはおれないでしょう。
「子の罪を親こそ憎め憎めども 捨てぬは親のなさけなりけり」
共に歎いていくのが、真実の親なのです。
そして、その真実の親の愛にふれた時、子供もまた、私を助けてくれるのはこの人しかいないとわかるのです。

平成20年2月6日